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因島の歴史を辿ると、
八朔のルーツが
見えてきました。
江戸時代末頃に、因島の密厳浄土寺の寺領で見つかった八朔は、発見をした小江恵徳上人によって少しずつ周囲の人たちに知れ渡り、大正から昭和にかけて、後に八朔の父と呼ばれる田中清兵衛氏によって、販路が拓かれ、八朔が全国に知られていきました。なぜ、八朔は密厳浄土寺寺領に実生していたのでしょうか。様々な資料や文献などを調べていくうちに次第に明らかになってきました。
八朔についての歴史的資料や文献などを、学術的に調査・取材し、ホームページ上で閲覧が出来るように、継続して収集活動を行っています。データ化できたものは、順次ホームページにて掲載・告知をしています。
日本遺産に認定された村上海賊や、戦国武将の一人である小早川隆景が大切にした柑橘。後に八朔と名付けられる柑橘を発見した小江恵徳上人。柑橘の世界的権威である二人の博士が称賛した八朔の優秀性。八朔を全国へ普及することに尽力した田中清兵衛氏や、因島の人たちが八朔にかけた情熱。今でこそ全国に広まっている八朔は、時代の縦糸と横糸が絶妙に紡がれた素晴らしい柑橘だったのです。因島の歴史の中で、重要な柑橘である八朔をアーカイブし、これからに繋げていくために、活動内容を掲載していきます。
八朔の発見は、因島の経済や農業が一変しただけではなく、遠く紀州・和歌山へもその影響は及んでいます。八朔に情熱を注ぎ、苦労を重ねた先人と人々の健康。産業に貢献した八朔果実に、感謝を込めて祈りを捧げます。八朔の原木と八朔地蔵尊の保持する自然実生の力と、菩薩のご利益をいただきます。毎年2月1日に日を定め「八朔地蔵尊加持力法要」を執り行っています。
八朔は因島にとって、とても重要な果実であることを、より多くの方たちに知って頂きたく、活動を開始致しました。因島や八朔のルーツを辿ると、商品としての果物という位置付けだけではなく、歴史浪漫あふれる因島の宝物としての果実だったことが分かってきました。当会では、八朔のルーツを辿ることで、観光事業や柑橘産業発展の礎とし、より発展して行くために活動をしています。